チカ
あらすじ
A Documentary Performance

Chika
Poster Design by Janette Hoe
Chika
CD Cover by , Elly Mantzaris
チカは本多千香がメルボルン刑務所から解放されるシーンから始まり、千香が初めて写真家金森マユに出会ったころに戻る。マユは千香の身の上を聞き出し、ドキュメンタリー制作を挑む。ストーリーは千香や千香のことを知る人々の声, そして とマユのナレーションによって展開していく。
1992年、千香は大宮のパブで働く36歳の女性だった。ある夜、パブの常連客である光男に休暇でオーストラリアへツアー旅行に出かけないかと誘われた。千香は承諾し、初の海外旅行を心待ちにしていた。オーストラリアのコアラやカンガルーに憧れ、彼女は喜んで光男とその兄弟たちと渡豪する事になる。
メルボルンに行く途中、一行はクアラルンプールで一泊した。彼らを空港に出迎えたのは地元のガイド、チャーリーだった。光男の弟の仕事仲間であるチャーリーは、ホテルにチェックインする前に彼らをレストランに連れて 行くが、 食事をしている間、彼らのスーツケースを積んだ車が盗まれてしまった。
チャーリーは一行に、ホテルにチェックインして、彼が事態を解決するまで待つように 指示。 翌朝、彼は新しいスーツケース一式に荷物を詰めて現れ、スーツケースがナイフで切られていたと説明した。中味はほとんど手が付けられていなかったため、新しいスーツケースにそれらを詰めたという。
一行がメルボルンに到着した際、税関はスーツケースの裏地から13キロのヘロインを発見した。千香らは逮捕され、取り調べられ、告発され、後に裁判で有罪判決を受けた。
千香はなんども無罪を主張したが、聞き入れられなく、取り調べや法廷での通訳が不適切だったことなど、陪審員は知るよしもなかった。陪審員や裁判官は、日本語が分からず、メルボルンのメディアは「日本人マフィア・シンジケート」とずさんな報道をした。経費削減のため、ツアーの5人全員は同時に裁判にかけられ、国選弁護士らは、被告人らに、他の人が不利になるかもしれな という理由で、 裁判中は個人として証言台に立たないようにと勧めた。
そして千香の刑務所暮らしは、まったく英語の分からないところから始ま る。 打ちひしがれ、パニック状態に陥った。彼女の最高裁判所への上告 は 却下され、彼女の無実を証明するすべての法的手段が失敗に終わったとき、彼女は真夜中に手首を切り自殺を図った。一命を取りとめた彼女は、神が彼女を生かし、もっと人生の教訓を学ばせようとしていることに気づいたのだった。
千香は英語を学び、オーストラリア文化にも慣れ、刑務所で友人もできた。ある日刑務所の職員が彼女に子猫をくれ、千香は「アイ」と名付けた。それは彼女の母の名前であり、日本語で「愛」を意味した。
刑期を満了した千香は、2002年に釈放され、直ちに日本に強制送還された。10年半の刑務所暮らしは、家に帰り、新たな生活に直面しなければならない千香を不安にさせた。
マユが刑務所の千香を訪ね、千香の身の上を聞くようになってから8カ月が経 つと 、マユは単なるドキュメンタリー制作者ではなく、千香の友達になっていた。マユは日本に千香の猫「アイ」を連れて 帰る 手助けを買って出た。代わりに千香は、撮影されることを承諾し、マユは千香が日本の自宅まで帰る旅を追ったのである。
千香の日本人弁護団は、彼女の帰国の際、記者会見を準備していた。彼女はそれまで日本に待つ母親のために名前や顔を隠してきていた。しかし帰国した彼女は勇気を出し、公の場に出て自分の無実を主張し、カメラの前に立つことを決意した。
千香はオーストラリア生まれの猫と共に故郷で安らぎを見つけ、いつの日か自分の無実をはらし、オーストラリアに戻って、刑務所で出会った友だちに会いたい、と願うところで終わる。

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